1.000 A.D 頃、 Nandikesvaraにより書かれた「Abhinayadarpanam」(演劇と舞踊の身振りに関するテキスト)を、1917年に、A.K.Coomaraswamy と言う学者により翻訳、概論された本のタイトルが “ Mirror of gesture ”と言います。私はこの言葉に引かれ、何かとても深い意味が含まれているんじゃないかと感じました。
ダンスは、この身体を媒体として、ダイレクトに人々の目に飛び込んできます。
その身振りとは、言葉の媒介であったり、心を表すための手段であったりします。それゆえに、身振りには無限の可能性が潜んでおり、大自然の営みから、現象的な事物、感覚的なものから心理的なものまでが、映し出されるのであり、身振りは心の姿を表す鏡である。と言えるのです。
また、この身体も、神の住まわれる寺院である。とは、よく耳にする言葉ですが、ひとつ、
Rama神を讃えた詩歌のなかに、“ 蓮の如く美しい私の心に、どうかお住まいください。”という一節があります。これは、この身体は寺院としての、神が降臨される器であるのですが、この詩のように、そのためには心が清らかに純粋に澄んでいなくては、純粋意識であられる神ご自信が降臨できないことが、明らかに示されています。このように、身も心にも神が住まわれるならば、舞踊そのものが、古代インドの聖賢たちの願う“ 神の歓喜 ”と呼ぶにふさわしい、舞踊本来の意味を成すのではないでしょうか。